ユング心理学  Jungian psychology

 

ryouhou4_1ユングは、スイスの心理学者で、分析心理学の創設者である。チューリッヒのブルクヘルツリ精神病院で精神科医として分裂病などの治療に従事する一方で、コンプレックスという現象を指摘した言語連想に関する研究で成果をあげた。その後フロイトの精神分析に傾倒するが、その後フロイトと決別する。個人を超えた集合的無意識の存在を仮定し、イメージの象徴性を重視する独自の学派を作り上げていく。ユングにおいては、意識や自我の中心性への疑問が徹底している。初期のコンプレックスに関する研究においても、自我はコンプレックスによって自分の統合性を脅かされたり、コンプレックスに取って代わられたりするのである。

ユング(Jung,C.G.)の心理学がフロイト(Freud,S.)から出てきていることは明らかである。ともに深層心理学とよばれる無意識の働きを重視するが、フロイトの場合は個人的無意識、ユングの場合は集合的無意識を問題とする。
個人的無意識とは、かつて意識されていた諸経験が自我を支えるのに不都合になってくると、おもに抑圧の機制によって意識から排除されてしまったものである。これを改めて意識的世界に取り入れ人格の再統合をはかるのが精神分析の目標になる。ユング派の無意識は個人的レベルを超えたむしろ種としての人間に備わった太古的な無意識を含み、これをどう個人の生活に生かすかが問題になる。それは、意識に対して必ずしも否定的に作用するのではなく、むしろ積極的なエネルギー源として働く場合もある。どちらかといえば、フロイトがノイローゼの、ユングが分裂病の患者を多く見たところから生じたずれといわれることもある。

ryouhou4_3症例

ある女子学生は、学生とは勉強するものだと思い込んでいた。だから友だちはすべて勉強友だちで、男性も女性もなかった。高校時代、そのため彼女は男を男とも思わない積極的な態度で目立っていた。しかし、大学に入ってまもなく、彼女は、男の学生がいやらしい目つきで自分を見ているのに気づく。 次いで襲われそうな不安が生じてきた。それで、下宿にこもっていると、地震でもないのに家が揺れる感じがして、何回か表に飛び出さねばならなかった。
人間はある年頃になると異性に関心を持たざるを得ない。これは生物的な必然のプロセスである。しかし、自分は異性に惹かれるようにはしたない人間ではない、という思い込み(あるべき自己像)が強すぎると、この感じが自分のものとは感じられなくなってしまう。ここで投影のメカニズムが働く。すると、本当の自分がいやらしい目つきで男性を見始めているのに、男性に見られているように感じてしまう。襲われそうな感じも、実は、自分の方の接近欲が投影によって裏返しにされているのである。この学生はやがてボーイフレンドを獲得し、症状めいたものは一切消失する。これはみずからの中のメス性を自分というもの(自己概念あるいは自己意識)の中に取り入れたと言ってよい。それによって、この学生は、今まで十分に生かしてこなかったみずからの可能性(メス性ないしは女性性)を生かしうるようになった。
今、現に生じつつある内的プロセスを、あるべき自分の中に組み込むことによって治療が成功したのだ。ユング心理学が強調するのは、こうした全体性の問題である。

ユングの元型論
ユング派は、無意識の世界の深遠に、個人を超えて人類に普遍的な神話を生み出すこころの領域を仮定するにいたった。この領域が「集合無意識」(llectiveunconscious)すなわち、集合的無意識は神話的モチーフや原始的イメージから形成されている。そしてユングは、そうしたモチーフやイメージを「元型」と呼んだ。
元型は、人間の生き方に密接にかかわる行動様式ないしは型である。たしかに人間は特定の環境・文化の中で、生活している。この環境・文化も何かしらの集合的な行動様式や型といえる。しかし、それらは元型ではない。それらは、すでに意識的に生活に影響を与えているものであって、その意味で外的権威すなわち集合意識である。元型そのものは意識することができないものであり、集合無意識にあるイメージを通してのみ元型イメージとして把握できる仮説概念である。元型には、ペルソナ、影、アニマ、アニムス、老賢者、自己、曼荼羅などが挙げられる。

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