「ティファニーで朝食を」の著作でも有名なトルーマン・カポーティの「冷血」が出来上がるまでの物語。

1959年11月。
アメリカ・カンサスで起きた事件で、裕福な農場主の一家4人を惨殺した、殺人犯2人との交流を描く。
目的なお金で噂で大金があると聞き、強盗を目的で家に入り込むが、結局40、50ドルしかなかった言う。

犯人のリチャード・ヒコックとペリー・スミスは、1984年絞首刑になる。
一度、死刑判決が下るが、カポーティが新しい弁護士を付けて、再審を要求。
1965年に最高裁まで控訴するが、結果は却下。

カポーティは、この二人の話をノンフィクション「冷血」という作品に書く。

ペリーは、アメリカ原住民出身で、悲惨な生い立ちを持つ。
カポーティ自身も、小さい頃から、一人でホテルに置き去りにされて、ホテルのドアの前で寝ていた事もあるという。
そして、最終的には、母親から捨てられる。

そんな二人は、人生の裏と表のような関係にあったのかもしれない。
『表のドアからでたカポーティと裏のドアから出たペリー。』
そんな二人が、一つの事件で出会う。

「冷血」は誰か?
親密に、心を開いて、話しを聞くカポーティに事件の一抹を話す二人。
そうして、決して他人を信用しない二人でもある。
仲間であるお互いにも決して心を許さない。

この「冷血」を最後に、カポーティは作品を仕上げることがなかった。
1984年、アルコール中毒がもとで死亡。
未完成の銘文に『叶えられぬ祈りより、叶えられた祈りに涙が多く流された。』とある。

「ティファニーで朝食を」の映画でオードリー・ヘップバーンが、宝石店ティファニーの店の前でワインを手にしているシーンがあるが、このカポーティとお酒とは切っても切れないものがあったのだろうか?

再審申請の繰り返される中、本の結末が完成せず、どうしようもないストレスを抱えるカポーティ。
そんなカポーティは、刑務所に行く足も遠のく。
カポーティに手紙で面接を懇願するペリー。
そして再度死刑判決が下り、自業自得の中であると思いながらも、最後の面会でお礼と友情を伝えるペリー。

この映画、映画館で一度見て、今回レンタルして再度見る。

2回見ても心に迫るものがある。
本当に冷血なのは誰か?
お金の為に4人もの人を殺した二人なのか?
そのことを本にして書こうとしたカポーティなのか?
それとも、映画として、テレビの前で座り、お茶を飲みながら見ている。
そんな私の心の中に、『心の冷血』はないのだろうか?

『私、どうしてこの映画に惹かれるのだろう』と思うとき、『これってただの映画。
殺人なんて自分には関係ないわ』という思いと、微妙に交差する何かはないのだろうか。

本当に冷血なのは誰なんだろうとふと思う。
答えはないんだろうけど、ひょっとして・・・。

(J)

「カポーティ」