Maria full of grace
2005年
監督 ジョシュア・マーストン
主演 カタリーナ・サンディノ・モレノ

人は、自分の主張を持ち自分の生き方を貫こうとする時、
ともすると、苦難や不安・恐れに出会う。

コロンビアの片田舎にすむ17歳の少女マリアは、家族を養うために花農場で働いていた。その“バラのとげ取り”の仕事を辞めた彼女は、仕事を探す。そして得た仕事は、“運び屋”。
それは「ミュール」と言われ、麻薬を胃の中に飲み込み密輸をする仕事。
そして、マリアのお腹のなかには、一つの小さな命が・・・・
お腹の子どもの父親との愛の無い生活は選ばずに、自分の生き方を選ぶマリア。

マリアは、ミュールとして体内に薬を詰め込み、ニューヨークに向かう。

同じ運び屋たちとの、友情・葛藤、仲間の死。そしてコロンビアからアメリカに生きる場を移した先達との出会い。
コロンビアでは、おそらく想像だにしなかったであろう様々なこととの出遭い。
その度そのたび、彼女は自分の生き方を選んでいく。
最終場面で、見事としか言いようが無い「旅立ち」を選ぶマリア。

精神分析には、男性原理・女性原理という言葉がある。
男性原理は能動性、女性原理は受動性と一致するものといわれていた。
その後、発達心理の研究から、ジェンダー・アイデンティティ、性役割、性対象の嗜好、文化的に決定されいる社会行動などの、両性に特徴的な傾向をさす言葉として、ジェンダーの概念が生まれる。
そして、男らしさ(男性性)・女らしさ(女性性)も歴史的・比較文化的に見ても様々な変化があり、男性原理・女性原理に規定されないものへと変化していく。

だが、文化的な風潮のなかで、今もって、主張的な生き方をする人達への厳しい見方がある。
そんな風潮は、さまざまな賃金格差・社会制度のなかにもはいりこんでおり、コロンビアという風土のなかで、主人公マリアの攻撃的ともみえる主張的生き方は、どんな風に受け止められていくかという点でも、見ごたえのある映画である。

お腹の中に宿る命を見つめる彼女の目は、とても穏やかで、母を思わせるまなざしのやさしさが、このタイトルの『一粒の光』と重なって見え、心をあたたかくする。

何時如何なる時でも、“死”と“生”のドラマはくり返され、哀しみと喜びが同時に存在する生の営みがくり返される。
楽しくもあり、寂しくもあり、また、悲しくもある。

自己主張・アサーションとは?
アメリカの心理学者が、自己主張を3つのタイプに分けている。
第一のタイプは、自分の事だけ考えて、他者を踏みにじるやり方。
第二のタイプは、自分より他人を優先し、自分を後回しにするタイプ。
第三のタイプは、自分のことをまず考えるが、他者にも配慮するやり方。

アサーションとは、この第三のタイプをさす。
人間の言論の自由も尊重する態度があり、アサーションする相手にも、当然ながら、アサーション権があるとする。
一見、簡単そうに考えがちなアサーション。
お互いの意見が違い、葛藤を引き起こすとき、お互いを思いやるアサーティブな態度が、取れるだろうか?

参考文献  アサーション トレーニング   平木 典子
精神分析事典  B・E・ムーアB・O・ファイン編

(J)

『そして 一粒の光』 と自己主張