“死”を見つめることは“生”を見つめること

「ターミナル・ケア」とは、 終末期にある人のケアをいい、終末期医療として 様々なところで行われています。樹輪”のターミナルケアでは今までの人生を振り返り 現在のさまざまなことを検討し、これから先の生き方を具体的に考え、心理的なケアーとしてワークを交えて、より安心で安定した人生を考えていきます。

どんな生き方があるか、どう生きたいか、どんな方法で実現するか・・・。月1回のゆったりとしたペースで、じっくり 自分と関わりましょう。

ターミナル・ケア  第193 回
「死を見つめるワークブック」  六浦 基 著
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おそれから愛へ―
かがやいて生きるための108の質問

次回は2019年1月19日です。
時間は、 13:30~15:30 です。

第4章     もっと輝いて生きるために

人間の成長はどこまでもつづきます。
年齢を加えるごとに、
そして新しい経験をするたびに
それを糧として
心は一段高いレベルへと成長をつづけます。
すべては自分から始まります。
自分を大切にしないと、
人も大切にできません。
いのちの、あたたさか、いとうしさを
よりいっそう大切にするために
これからのことを、考えてみましょう。

今月のテーマ

  • 3つの願い
  • これだけは
  • これからの生き方
  • これからの計画

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より輝いて生きるために

「終わりがあるからこそ、人間は生をエンジョイすることができる。死こそ最高の味つけだ」
オーソン・ウェルズの最後の言葉です。かれはベッドにバスローブひとつで死んでいて、お付きの運転手に発見されました。70歳でした。
「死とは救いである。なんとなれば、死んで不幸になった人をひとりでも見たことがあるかい」
これは、皮肉屋のモンテーニュです。
いえ、こんなエライ人の言葉を借りるまでもありません。

『この野郎、殺してやる』
ってセリフも怖いけど
『この野郎、いつまでも生かしてやる!』
ってのも怖いね。

永六輔氏は、その著「普通人名語録」に、こんな味のある言葉を紹介しています。

●すべてのいのちと共感して生きる
現代社会において、死は、あまりにも、マイナスイメージだけで捉えられすぎているように思えます。
―人間は死すべき存在だからこそ、生が輝く―
この事実が、無視されすぎていないでしょうか。
死というレンズを通じて世界を見直してみると、物事すべては、雨あがりの朝のように、よりいきいきと、美しく、いとおしく・・・・・・深い意味を持って立ちあらわれてくるようです。
死を意識したとき、これまで見過ごされてきたもの―地を這う小さな虫にも、荒野に生える一本の草にも、かぎりないいとおしさ、共感をおぼえるようになった人は少なくないでしょう。
ある婦人は、第2次大戦末期のことを思いだして、こう語っています。
「空襲に追われて逃げまどい、車軸の下にもぐり込み、弟、妹の手をしっかり握ったとき、もっと兄弟仲良くしておけばよかったと思った」
“もっと〇〇しておけばよかった”
だれのこころにも、それぞれ、こういった“果たされぬ思い”“やさしい願い”が、ひそかに眠っていて、表にでたい、出してくれと、いつも叫びをあげているのではないでしょうか。

・それ以上に大切なことがあるのでは
しかし、わたしたちは、なかなか、そのことに気づきません。生活上のこまごまとした気づかいに忙殺され、そして、財産、地位、名誉、学歴、教養、美貌、虚栄・・・・・・いろんな価値にしがみついて、その声に耳をかたむけるゆとりを失っているようです。
死を考えることは、それらの価値が、それほど大したものなのか、ひょっとすると無価値ではないのか・・・・・・それ以上に大切なことがあるのではないか、ということを容赦なく明瞭に照らしだします。
そのことによって、それらに過剰に束縛される苦しみから解きはなたれ、もっと自由にのびのびとした人生をつくっていくことができるようになるかも知れません。
日本には、死を考えることは不吉だ、マイナスのことを考えると、そのことが実際に起こってしまう―という考え方が、伝統的にあります。これは神道の“穢れ”といった意識からきたものだと説明されています。
ところが、実際は、死を考えること―すくなくとも、それを補助線として人生を考えることは、かえって、いのちをゆたかに、味わい深くしてくれるようです。自分を縛っていた、ふるい観念や価値観から解放されて、より元気で輝いて生きることができる、と言っていいと思います。
「死んだ気でやれば、不可能はない」
「金・地位・名誉―なにも要らない捨て身のやつには勝てない」
などと言われるのは、死を人生計画の中に折り込んでいる人と、そうでない人のパワーの違いを指摘したものでしょう。

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・すべての存在はつながっている

自分は周囲から切りはなされ、孤立しているのではないか―。
この観念が、人々を苦しめます。
わたしはわたし、他者は他者。
小さな自分が、せい一杯、肩ひじ張って全世界と向きあい、押しつぶされまいと懸命に頑張っている、というおなじみの図式は、人をひどく疲れさせています。
世界とは、人生とは、実際、そうなのでしょうか。
いいえ、この宇宙になにひとつ孤立して、それ自体で完結しているものはないのです。すべてのものは、宇宙という共通の根っこから生えた枝葉であり、それらが、たがいに分かちがたく結びあわされて、自分とか他者とか、わたしたちとかあなたとか、そういう区別のない、壮大な生命の流れが、ただ流れている―それが実際の姿・・・・・・。
わたしたちは、そこから生まれ、そして、そこに帰っていきます。大きな流れのなかへ、ふたたび戻っていくのです。その流れは、生きているいまも、わたしたちを包み、抱とり、あたたかく迎えてっくれています。わたしたちはただ、それに気づいていないだけなのです。
死という補助線をひいて、いのちのことを考えてみると、このことが、はっきりと見えてくるようです。

「あたしの『白鳥』の衣装を用意して」
偉大なバレリーナ、アンナ・パブロワは、いまわの際に、こう言ったと伝えられています。彼女は、肉体でのそれが不可能になっても、心での踊りをやめなかったのです。

さあ、あなたは、あしたから、どのように生きていきますか。

日 時:毎月第2、または第3土曜日
時間:13:30~15:30(原則として)
場所: 樹輪
参加費: 3,000円(当日、担当者にお支払下さい)

※ノートを一冊ご用意下さい。(毎回書き込んでいきます)
※要予約(TEL・FAX・E-Mailにてお申込みください。)

開始日 予定表

 
2019年
1月19日
2月16日
3月16日
4月20日
5月18日
6月15日
ターミナル・ケア