森見 登美彦 もりみ とみひこ
1979年、奈良県生まれ。
京大学農学部卒、同大学院農学研究科博士課程修了。
2003年『太陽の塔』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。
07年『夜は短し歩けよ乙女』で山本周五郎賞を受賞。
同作品は、本屋大賞2位にも選ばれる。
他の著書に『きつねのはなし』『〈新訳〉走れメロス 他四篇』『有頂天家族』『美女と竹林』がある。

「黒髪の乙女」にひそかに想いを寄せる「先輩」は、「奇遇ですね」と、意中の彼女に言われる出会いを繰り返していた。

新緑も過ぎた5月の終わりごろ、大学のクラブのOBである先輩が、結婚することになり、内輪のお祝いが開かれる。
ほとんど話したことがなかったクラブの先輩だが、師匠筋に当たる人に当たるために顔を出すことになる。
ほかにもクラブから幾人かの参加があり、その中に彼女の姿もあった。
お祝いは、四条木屋町の交差点から高瀬川を下ったくらい街中に木造三階建の古風な西洋料理店で開かれた。
お開きになって参加者が散り散りに路上にあふれた。
彼女はほかの人々に頭を下げて、歩み去った。
僕はがっかりとしながら、二次会へ行くのをやめた。
四条大橋からそのまま北へと歩いていく彼女だったが、やがて僕は見失ってしまう。

私は初めて、夜の木屋町から先斗町界隈を歩いた。
木屋町の西洋料理店で開かれた結婚祝いにて、お皿の隅に転がっていた蝸牛の殻がきっかけで、「お酒飲みたい」と熱烈に思った。
四条木屋町の界隈は、夜遊びに耽る善男善女がひっきりなしに往来していた。
私は知人に教えてもらった「月面歩行」というバーへ行く。
カクテルが300円で飲めるという。
そこのカウンターで、一人で飲んでいると、中年の男性に声をかけられました。
「ねえ君、なにか悩みごとでもあるんじゃないの。そうだろう」
その人の名は、東堂さんと言った。

錦鯉を育てて売るという商いをしてる東堂さんに連れられて、今ではまぼろしともいえる「偽電気ブラン」というヘンテコな名前のお酒を求めて、その日からの冒険が始まる。
「夜の街で出会った胡散臭い人間には、決して油断してはいけない。我々のような人間にもスキを見せてはいけない」という羽貫さんと樋口さんにも出会う。
そうして「偽電気ブラン」を廻って個性溢れる曲者と珍事件の数々に遭遇することになる。

彼女の姿を求める先輩と、ただ一杯の「偽電気ブラン」を飲みたくて夜の街を巡る彼女。
また、下鴨神社の古本市で、彼女の求める絵本を必死の思いで手に入れようとする先輩の奮闘ぶりや、大学の学園祭に彼女を求めて駆け回る先輩を描く。

恋愛ファンタジーの傑作というか、幻想文学的というか、不思議不思議が数々登場する。
先輩の一途な思いがいじらしいというか、面白いというか。
それに対して、彼女が出会いを偶然にする、そのキャラが、何とも歯がゆくもありにこやかでもあり、結末はいかにと、期待に心は弾む。

ハッピーな結末は、当然のごとく訪れるのだが、恐るべし風邪が付きまとうということもあり、面白くもあり、また、心温まる物語でもあった。

(J)

 

「夜は短し歩けよ乙女」