宇野 常寛  Tsunehiro Uno
評論家。
1978年生。
企画ユニット「第二次惑星開発委員会」主宰。
批評誌〈PLANETS〉編集長。
戦後文学からコミュニケーション論まで、幅広い評論活動を展開する。
近著『「リトル・ピープルの時代』。

変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ、変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を、われらに与えたまえ。
―ラインホールド・二-バー―
本書より

かつて社会は「大きな物語」に支えられていた。
1900年後半、バブル崩壊や、社会の雇用形態の変化や終身雇用制度の崩壊、様々なもの変化に伴い、今までとは違う社会のシステムはできた。
インターネットや携帯電話、そして、スマートフォンなどを中心とするコミュニケーション革命の流れは、様々な子供が大人へと変化するべき時の、そして自分の物語を描くことの難しさを時代に流れが要求した。
そして、かつてのその「大きな物語」がその効力を失った。
私たちはどう生きていくべきなのか。
決まりきった、当たり前だと思われていた生き方が多様化するとともに、ゼロ年代に生まれた想像力は、文学やアニメ、ゲーム、テレビドラマにどんな影響を与え、どんな物語を描いたのだろうか。

1900年後半から2000年初頭までの、様々な流れを評論する本書は、オウム真理教事件からアメリカ3.11、までのことを記す。

「キモチワルイ」と拒否されることを恐れた「エヴァンゲリオン」の時代の子供たちは、第3次アニメブーム退行期の90年代末~ゼロ年代初頭にかけて、徹底した自己愛への退却を試みた。
人を傷つけるのを恐れ、自らも傷つけられないために引きこもりや心理主義を試みた。
「自分とは何者か」という問いかけを自らに問いかけ、優しい世界を夢みて、外の世界をある意味で拒否した。

その後、ゼロ年代は、引きこもりを「負け組」とし、勝つことを模索する。
決断主義と本書では呼ぶ、バトルロワイヤル/ゲーム的な世界観だ。
唯一自身の生き残りをかけて戦う。
周りはすべて敵。
自分と同じ価値観を持つ者のみを友や同士とする。
また、「世界系」は自分の存在をすべてを受け入れてくれる、そんな人をアニメの中に見いだし、満たし癒されることを見出す。
何でも出来る超人や宇宙人のような特別な才能を持つ人々を描き、その夢の中に自分を重ねたのだろう。
そして、その中にあるであろう暴力性を見ることもなく、ただすべて許される世界を夢みる。

1900年代から2050年代ぐらいまでの流れを作者は分析し評論する。
引きこもりやゲーム的生き方は、新しい物語を人々に与えることに成功したのだろうか。
深く傷つかない程度の反省をしながら、生きていくための物語を探す。

鋭い文章は、はっとするような指摘に溢れる。
人は生きていくために様々なことを必要とする。
その精神的に必須ともいえる生き方への模索を、文化の中から分析するそのまなざしに、興味深くもあり、頷きながら読んだ。

(J)

 

 

 

「ゼロ年代の想像力」