高柳 和江 (たかやなぎかずえ)
日本医科大学医療管理学教室助教授。
1970年、神戸大学医学部を卒業。
順天堂大、徳島大を経て、クウェート国立サバ―病院に小児外科医として10年勤務した。
1987年、帰国。
厳しい審査で知られる英国小児外科会員に認定されたのは、日本人としては5人目。
研究者としての仕事の他、病院医療の質に関する研究会や日本病院エイズ対策委員会など、幅広い活躍の場をもつ。
いつもユーモアを忘れず、人間的魅力がいっぱいのドクターは、看護学生のアイドル的存在。
死の授業を行っている医療管理学教室は4年前、日本で初めて日本医科大学に開設された。

ターミナル・ケアーが叫ばれ、あちこちに受け入れ病院ができてきている。
しかし、その病院で患者さんをケアーする看護師さんたちが、死を恐がっているという。

そんな人達も含めて、高柳さんは『デス・エディケーション』をするそうだ。
評判になったこの本、読むと『死』が恐くなくなるとかいう、前評判に押されて一読。
確かに、死ぬことへの考え方は変化したかもしれない。

人は、なぜ死を怖がるのだろう?
人間は生まれ、生き、そして死ぬもの。
生き物にとって、死は当たり前、自然な流れである。
それを怖がるほうが、よほど不自然ではないか。
本文 抜粋

あなたが死ぬ瞬間を想像してみよう。
医師が「ご臨終です」と死を告げ、家族がワーッと泣きくずれる……。
しかし、このイメージには重大な間違いがかくされている。
医学的な死の判断は、脈が止まり、息をしなくなり、瞳孔が開いた時点で行う。
いわゆる〝死の徴候”である。
ところがこれは、生物学的に見るとおかしな話で、脈がふれなくても、心臓の筋肉がかすかに動いている可能性もある。
そして心臓が止まり、脳が死んでも、まだ生きている身体の細胞もある。
皮膚は生まれ変わるし、髪の毛だって伸びる。
もし、完全にその人の死を確認しようというなら、すべての細胞が死に、腐敗するまで待たなければならないのが理屈である。
ところが現実には、そのまで待つのは無理なので、〝まだ途中だけれど、とりあえずここで死んだことにしましょう”
というのが、現代医学における死の定義である。
本文 抜粋

死ぬ瞬間はどんな感じがするのか?
亡くなった方のお顔というのは、概ね穏やかで、
すばらしいものである。
ああいうお顔をしておられるということは、その瞬間が苦しいはずはない。
これは、それを実証する話。
柔道の特殊な技に一つに、〝絞め”というのがある。
腕や柔道着のえりを使って、首のところにある太い血管である頸動脈を巧みに圧迫し、相手を制する技である。
「強くするには、とにかく1回絞めて落さんとあかん」と言うのは、講道館で柔道を教えている友人のはなしである。
頸動脈は脳に大量の血液を送り込んでいる。
これを絞めると、脳が酸欠(酸素欠乏)状態になる。
そこで、絞められた相手はおよそ6~10秒後意識を失う。
この、意識を失うことを〝落ちる”という。
絞め手は敵が落ちるとすぐに絞めを解く。
すると、まもなく自然に目が醒める。
または〝活”を入れて意識を回復させることもある。
この〝落ち”は、脳死によく似ている。
・・・・・
「夢を見るんですよ。それも、楽しい夢を。
ああ、気持ちよかった。あれ、僕はどこにいるんだろう?って感じ」「走馬灯のように幼いときの記憶がよみがえり、至福の気持ちになる」
本文 抜粋

脳の快楽物質であるエンドルフィンが、どっと分泌されて、死ぬ瞬間は至福とか書かれている。

本当の自然の死は、眠るように死んでいくと言う。
そんな死に触れることがほとんどない今、テレビや映画などで作り出される死のイメージが作り出されている。

101のはなしで綴られているこの本も、結構おもしろい。
医者である高柳さんが書いているのも、自然に言葉が入り、しかも、説得力があるように思う。

(J)

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「死に方のコツ」