帚木 蓬生  Hahakigi housei
1947年(昭和22年)、福岡県生まれ。
東京大学仏文科卒業後、TBSに勤務。
2年で退職して九州大学医学部に学び、精神科医になる。
’97年に『白い夏の墓標』を発表、サスペンスの舞台を海外に据えた物語は、直木賞候補となった。
’93年(平成5)年『三たびの海峡』で吉川栄治新人賞。
’95年『逃亡』で柴田錬三郎賞を受賞した。
『臓器牧場』『ヒトラーの防具』『カシスの舞い』など著作多数。

傷害事件を起こした人について、「精神科にかかっていた云々」というコメントが、ときどき新聞やテレビで伝えられる。
そうしたコメントを付け加える必然性が、どこにあるのだろうか。
そのような報道は、《精神科の患者イコール危険》という誤解を助長するだけで、読者に知らせるメリットは何もない。
なるほど、精神科の患者の中には、確かに危険性、凶暴性を伴う病の者もいるけれど、それは法を取り締まる警察機構の中にも悪い警察官が存在するのと同じで、どこの世界にもみられることである。
たとえは悪いが、ある一人の警察官が泥棒を働いたところで、全部の警察官を泥棒とみなす者は、だれもいないだろう。
その意味で『閉鎖病棟』は、わたしたちにそのような公正なものの見方を、改めて教えてくれる。
本文 解説より 抜粋

ヒデさんは元はといえば腕の良い大工で、自分の家も自力で建てたが、その四、五年後に脳梅毒が出て入院してきた。
ヒデさんのいる菊病棟は半分閉鎖で、昼間だけ扉が開く。
日頃は目立たないヒデさんも、お菓子を取られたり意地悪されたりすると怒り出して、荷物をまとめだす。
しかし自分の家への帰り道はもう忘れている。
行きつくのはせいぜい駅のホームまでだ。
初めは頻繁に面会に来ていた奥さんも、十年たった今では年に二、三回がいいところだ。
長居をするとヒデさんが里心をおこすので、そそくさと帰っていく。
盆が来れば退院だという常套句は、何回繰り返されたかもしれない。
本文 抜粋

病棟には、色々な人が、さまざまな事情で入院している。

島崎由紀は学校に行けない。
義理の父親に虐待や暴力を振るわれ、妊娠し、堕胎した。
事情を知らない母親にも学校に行かないと言われ、行き場のない思いを抱えていた。
昭八は耳が聞こえない。
年に一度の魚獲り大会では、誰もが褒めたたえる大鯉を取ったこともあった。
だが、姉の結婚と共に納屋の上に居所が移され、楽しみにしていた魚獲り大会にも姉婿が出るようになる。
一生姉夫婦に面倒をかけることになると言われながら、生れた甥と姪の面倒を見、とても可愛がった。
特に甥の敬吾を可愛がったが、
ある時不幸にも敬吾を池に溺れさせた。
その事件の後、夕食の時間にも誰からも声を掛けられなくなった昭八は、馬小屋の納屋にロウソクで火を付けた。

朝の五時半から勤行をするドウさん、サナエさんやチュウさん、
医師免許も持っているハカセや、イナバさん、ムラカミさんもいる。

精神分裂病という病名は、人間を白人や黒人と呼ぶのと大して変わらないのではないか。
白人にもさまざまな人間がいるように、精神分裂病にもさまざまな人間がいるのだ。
そんなふうに考えてから、チュウさんは自分の病名をとんと気にしなくなった。
黄色人種という呼び名と同じだと思い、それなら主治医もやはり黄色人種だろうに、と少しばかり可哀想になる。
本文 抜粋

チュウさんは、毎日外に出る。
外で散歩し、うどんを食べ、みかんを買う。

そんなチュウさんは、新聞の占いに投稿している。
投稿はほとんどいつも占いの欄に掲載されている。
が、一度も占い師からお礼を言われたことがなかった。
そのことを病院の医師に話すと、その占いの書かれている紙を持ってくるようにと言われるが、その医師を嫌うチュウさんは決して占いの紙を見せようとはしない。
そして、カルテには『妄想あり』と書かれてある。

重宗は、若いころから覚醒剤中毒だったらしい。
スーパーのレジまで行ったとき、突然目の前にレジ係から襲われそうな気配がした。
重宗は買い物かごを置いたままで売り場に引き返し、棚から包丁を取って引き換えし、レジのカウンターを乗り越えて、係員の太腿を刺した。
警察に捕えられたが起訴されず、精神科送りになり、重厚な薬物療法で被害妄想は無くなったが、持ち前の性格の偏りは治らない。

病棟でもいろいろな事件を起こし、重宗に殴られたり、怪我をしたりした者もいたが、警察は精神科内のことにして取り合わなかった。
精神科病院で彼の傍若無人さは、ますます目立つようになっていった。

それぞれの人にそれぞれの事情がある。
いつ退院できるかめどすら立たない。
各々、それぞれなりに相手を気遣いながら、日々の生活をする。
そんな日々の生活がそこにある。

わずかの収入でやりくりしながら、それでも心の持てる限りの思いやりを持つ。
いつしか由紀さんも昭八の敬吾も、そしてチュウさんも、心を開きお互いを支え合う。

読んでいて、心が素直になる。
読んでいて、心ってなんだろうとも思う。

答えのない問いかけかもしれないが、何かをとても大切と思える心が、とても美しいモノだと思うようになっていた。

(J)

「閉鎖病棟」 Closed Ward