川上 弘美 (かわかみ ひろみ)
1958(昭和33)年、東京生まれ。
お茶の水女子大学理学部卒業。
94年、「神様」で第1回パスカル短篇文学新人賞を受賞。
96年、「蛇を踏む」で第115回芥川賞受賞。
99年、『神様』でBunkamuraドゥ マゴ文学賞、紫式部文学賞、2000年、『溺レる』で伊藤整文学賞、01年、『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞、07年、『真鶴』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
『物語が、始まる』『いとしい』などがある。

「蛇を踏む」
ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった。
ミドリ公園を突っきって丘を一つ越え横町をいくつか過ぎたところに私の勤める数珠屋「カナカナ堂」がある。
カナカナ堂に勤める以前は女学校で理科の教師をしていた。
教師が身につかずに四年で辞めて、それから失業保険で食いつないだ後カナカナ堂に雇われたのである。
カナカナ堂では、店番をする。
仕入れやお寺さんの相手は店主であるコスガさんが行い、数珠づくりはコスガさんの奥さんが行う。
雇われた、というほどのことはなく、つまりはただの店番である。
蛇を踏んでしまってから蛇に気がついた。
秋の蛇なので動きが遅かったのか。
普通の蛇なら踏まれまい。
蛇は柔らかく、踏んでも踏んでもきりがない感じだった。
「踏まれたらおしまいですね」と、そのうち蛇が言い、それからどろりと溶けて形を失った。
煙のような靄のような曖昧なものが少しの間たちこめ、もう一度蛇の声で「おしまいですね」と言ってから人間のかたちが現れた。
「踏まれたので仕方ありません」今度は人間の声で言い、私の住む部屋のある方角へさっさと歩いていってしまった。
人間のかたちのなった蛇は、五十歳くらいの女性に見えた。
本文 抜粋

カナカナ堂のご主人コスガさんとニシ子さんは、
コスガさんが若い頃修行に入った京都の老舗の数珠屋の奥さんで、その店の若旦那があまり店に寄りつかず外でばかり遊んでいるのに朝から晩まで休む間もなく切り盛りしているニシ子さんに横恋慕して口説いて駆け落ちをした仲である。
ニシ子さんの数珠づくりの腕は関東では一番と言われていたにもかかわらず、カナカナ堂は辺鄙な土地でほそぼそと商売をしていた。

「サナダさんも行きませんか」と言われたヒワ子は、一緒にバンに乗り、甲府までニシ子さんの作った数珠の納品をすませた。

サナダさんが部屋に帰ってみると、さっぱりと片付いた部屋に五十歳くらいの見知らぬ女が座っていた。
さては蛇だなと思ったが、その女の作った料理と冷えたビールにごく自然な感じの風に、言われるままにビールを飲み料理を食べた。

「あなたは何ですか」と聞くと、「ああ、わたし、ヒワ子ちゃんのお母さんよ。」
女は何でもなく答えた。

故郷の静岡に電話して、母親も父親も健在なのを確かめる。
女は体を柱にからまりながら天井に登り、蛇に戻り目を閉じ、そして動かなくなった。

コスガさんにそのことを話すと、追い出すのは早い方がいいと言う。

そんな風にして、自分の母親だと名乗る蛇との同居が始まる。
いつか追っ払おうと考えながらも、「ヒワ子ちゃんおかえり」と言われると、何年も言われてきたようになって「ただいま」と答える。
家に帰ると食事の支度が出来ていて心地もよい。

ヒワ子には、この母親を名乗る蛇との間に壁がなかった。
コスガさんやニシ子さんや、教師をしていた時の生徒や同僚との間に薄かったり厚かったりする壁があるが、蛇との間には壁がなかった。

人と人との間には境界線がある。
この境界線が曖昧で一体感があるような感じをヒワ子は蛇に抱く。
蛇はさかんにヒワ子に蛇の世界に来ることを進める。
とてもいい感じだという。

その後、実はニシ子さんにも蛇が居る事が分かる。
年とって人間の形をとれなくなったニシ子さんの蛇は、やがて死んでしまい、悲しみの中でニシ子さんが動けなくなる。
母子の間に境界線が無く、『あなたも私の同じ』という感じを子どもが抱くのは、1歳半ぐらいまでという。

『口唇期』と言われるこの時期を経て、人は母親との分離を果たす。
ヒワ子は、憎しみと融合感の心地よさとの間を揺れ動く。
蛇と言う『父親』を表すとの言われる生き物との間で繰り広げられる物語。
作者は、本当にあったことでないこと、自分の頭のなかであれこれ想像して考えたこと、つまり「うそばなし」を書いたという。

「うそ」の国は、「ほんと」の国のすぐそばにあって、ところどころには「ほんと」の国と重なっているという。
興味深い物語である。

口唇期 (oral phase)
フロイト(Freud,S.)の心理ー性愛発達論の第1段階で、出生後、乳房を吸うことで、口唇、口腔や粘膜、舌の感覚に性的快感を覚え、またその満足を反復的に求めるという考えで、およそ1歳半位までに当たる。
乳児にとって母親の乳房が重要な対象となり、乳房と口唇部の相互関係が象徴的な意味をもつ。
――-一部省略―――
アブラハム(Abraham,K.)は口唇期を前期・後期に分け、前期は自他の区別がなく、乳児の内的世界では母親との対立や愛や憎しみといった衝動はないので前両価的段階とよんだ。
後期は、乳歯が生え始めるため噛みつく、噛み切る、噛み砕くという段階である。
この時期は乳児が自己と他者の区別ができ始めているので、対象に対する破壊的衝動と愛する対象を破壊してしまうという恐怖心といった口唇サディズム期であるとした。
カウンセリング辞典より 抜粋

(J)

「蛇を踏む」