東野 圭吾 (ひがしの けいご)
1958年、大阪府生まれ。
大阪府立大学電気工科科卒業後、生産技術エンジニアとして会社勤めの傍ら、ミステリーを執筆。
’85年『放課後』で第31回江戸川乱歩賞を受賞、専業作家に。
’99年『秘密』で第52回日本推理作家協会賞、2006年『容疑者Xの献身』で第134回直木賞受賞。
『夜明けの街で』『流星の絆』など。

僕の名前は成瀬純一。
産業機器メーカーのサービス工場に勤めている。
ユーザーからの苦情に対処したり、壊れた機械を修理したりするのが主な仕事だ。
ライトブルーの制服。
だが実際はオイルのためグレーに近い色に変わってしまっている。
職場での僕の仇名は、「おりこうさん」だ。
上司のいうことなら、どんなことでもはいはいときくからだと先輩はいった。
本文 抜粋

絵を描くことが楽しみの一つで、狭いワンルームのマンションとは名ばかりのアパートに住む純一は、その劣悪なアパートをもう少しはましな部屋にと、近所の不動産屋へ行く。
そこで純一は、ピストルを持った強盗に出くわす。
そしてそこにいた3,4歳の女の子を助けようとして、ピストルに撃たれた。

気がつくと、純一は、世界的に注目される脳の移植手術を受けた患者になっていた。
平凡で、これと言ったとりえのない性格と思っていた純一は、一躍有名人となっていた。
世界初の脳移植が行われたのだ。

両親に死なれて、一人で暮らしている純一にとって、画廊で勤める葉村恵は、
掛け替えのない存在だった。
退院して、再び絵筆を取り、恵をモデルに絵を描くことを望んでいた。

ところが、退院するとどうしても絵を描くことができない。
出来ないどころか、興味すら持てず恵を依然のように見ることができなくなっている事に気づく。

そして、仕事先でも今までの様に仕事が出来なくなっていく。
人と一緒に居るよりも、一人で仕事をしたい。
絵を描くよりも音楽に興味が湧く。
温厚だった純一は、少しのことで苛立ち、人と喧嘩するようになる。

徐々に自分の性格が変わっていくことに危惧を覚えた純一は、手術をした東和大学附属病院の同元教授に、ことの真相を聞きただそうとするが、彼や手術に参加した助手たちは、口を噤む。
ドナーと聞かされていた人物の関係者にも会うが、どうしても合点のいかないことが次々と純一の行動に現れるようになる。

昔はとても面白いと思った見ていた映画に“つまらない”と思ったり、会社の同僚がたいしたことも出来ないのに、給料をもらっているように思えたり、徐々にではあるが、人に対する殺意が生まれ、凶暴性がむき出しにされていく。
人に対して共感する気持ちが失せて、何時か人を殺すのではないかと考え始める。

事の真相を知りたいと思い、いろいろな事を確かめていく純一。
そして、ついに純一は真のドナーを知ることになる。

ドナーの脳に少しずつ乗っ取られていき、本来の純一が姿を消していく。
本来の成瀬純一では、到底考えられないことをしている自分に焦りと苛立ちを覚えながらも、どうすることも出来ない。

そして、最後に純一の取った行動とは…。
恵の力を得て、彼は辛うじて自分を守る。

かわいそうだ、と俺は思った。
殺すのはかわいそうだ。
彼女は俺という災いに巻きこまれた被害者なのだ。
なぜこんなふうに思うのだろう。
先程までの殺意はどこに消えたのだ。
わけがわからない。
俺は首をふった。
その拍子にベランダ側のガラス戸が目に入った。
そこに俺自身の姿が映っている。
ガラスに映った俺は、じっとこちらを見ていた。
あの目ではなかった。
例の死んだ魚の目ではない。
これは紛れもなく成瀬純一の目だ。
死んではいない。消えてはいないのだ。
………
「ジュン……」
かすれた声で彼女はいった。
「ジュンなのね。
あたしがよく知ってる、あのジュンなのね」
「君を愛したことを忘れない」
恵の目から大粒の涙があふれた。
それはダイヤのように光り、床に落ちた。
俺は手を放し、彼女に背を向けた。
「どこへ?」と彼女は訊いた。
「取り戻しに行くんだ」と俺はいった。「自分自身を」部屋を出ると、真夜中の闇に向かって走った。
本文 抜粋

(J)

「変身」