芥川 龍之介

人が二人いたら、二人分の物事の見方がある。
人が十人いたら、十人分の物事の見方がある。
当然だが、百人いたら、百通りの物事の見方がある。

京都・山科の山蔭の藪の中にあった死骸を巡って、検非違使に問われた人々が答える。
木樵り・旅法師・放免・媼(おうな)それぞれの人がそれぞれの答えを検非違使に答える。

その男を殺した多㐮丸も答える。

殺された男は、若狭の国府の侍であった。
年は26歳で、殺される前に真砂という19歳の娘が嫁ぐ。

娘の美しさにその女を奪おうとした多㐮丸は、夫婦二人で国に旅立ち、山科の人気のない山中に誘き出し、そこで意を叶える。

清水寺へと行きついた女の話は、殺した多㐮丸の話とも違う。
殺したのは自分だという。
縛られた夫の目の前で手ごめにされ、夫の蔑んだ、冷たい目の光に、気を失いながらも夫と共に死のうと思い、先に夫を殺めたという。

巫女の口を借りて殺された死霊も語る。
妻は盗人に自分を殺してくれと頼んだという。
縛られた自分を残して、其処を離れようとする盗人に『自分が生きていては一緒に居れない』と…。

真実はどれなのだろう。
一体誰の言葉が事実で、妄想は誰なのだろう。

読んでも答えはないが、人の記憶は、自分の都合で書く変えられるものなのだろうか。

人の心の深部にあるエゴイスティックな部分を、見事に表現する芥川龍之介。
何度読んでも唸ってしまうその文章は、一見目を背けたくなるような迫力がある。
でも、此れもまた、人間の一部であろう。
思わず、自分の顔を鏡で見る。

(J)

「藪の中」