松本 侑子
1963年島根県出雲市生。
筑波大学で国際政治専攻。
「巨食症の明けない夜明け」で八七年すばる文学賞受賞。
以後作家生活に。
代表作「植物性恋愛」「偽りのマリリン・モンロー」エッセー集「作家以前」

「巨食症の明けない夜明け」で、摂食障害の心理を描いた、松本侑子さん。
今回のこの本「植物性恋愛」では、小学生の頃にレイプにあった女性の心理を描く。

沙江子は、10歳の春休みのある日、小学校の花壇で友だちの夏美と遊んでいたときに、見知らぬ男からレイプされた。

自分の身に何が起きたのかも理解できぬまま、男の手にあったナイフの銀色の光に怯える。
目の前の男の耳を満身の力を込めて噛み、男の憎悪のなか、
幾度も幾度も殴られる。

夏美はどこに行ったのだろう
最初に思い浮かべたのはヒトのコトだった。
彼女は、これを見られてはならないと思った。
地面に寝たまま周囲を見渡すと、誰も居なかった。
ただ、眠っているような午後の静寂があった。
ひばりの鳴き声が、遠く高く聞こえる。
何一つ動く物はなく、時折、木々の影がまどろむように揺れるだけだった。
それを確かめてから、ゆっくりと起き上った。
身体の節々が鈍く傷んだ。
殴られた左側の口唇に触ると、腫れあがった頬はしびれ、
指は血に染まった。
現実の恐怖が過ぎさった安堵と、口から溢れる血と痛みに、沙江子は大声を放って泣いた。
本文 抜粋

時間と共に、沙江子は自分の身に起きたことを理解していく。
父親の書籍や図書館の本を読みあさり、秘密を探り当てる。

医学書や性教育の本は、生殖器の仕組みと、生命の始まりを教える。
しかし、なぜ人が性の関わりを持つのか、性は生殖のためだけではなく、愛し合うためにも有ると沙江子は知っている。

性と愛は分裂して、暴力の顔をして襲いかかり、彼女の中で二つに分かれたままになる。
性に傷ついた女が、どの様に男性への恐怖と憎悪を乗り越え、又持ち続け、どのように自分の性を受け入れて肯定するのか、あるいは肯定できないでいるのか…。

サド・マゾの男、ゲイの男性達や様々な出会いの中で、感じながらそして模索しながら、揺れ動く心を見つめる。

男の性暴力を許し許容しようとは決して思わない。
けれど、沙江子は自分の傷跡を掘り返し、光をなじり責めるより、今は、目の前でむせび泣く光の傷みを受け止めてやりたかった。
できることなら癒やしてやりたいとさえ思った。
棘で互いを刺し合うことは空しいと気付いた心に、それは錯覚でないと言い聞かせるように、沙江子は光のやみくもな懺悔に、ただうなずいていた。
本文 抜粋

痛みからの回復は、苦しく辛いプロセスも伴う。
だが、回復したもののみが持つ心の広がりは、真の優しさを含む。

(J)

「植物性恋愛」