ポール・オースター Paul Auster
1947年生れ。
コロンビア大学卒業後、数年間各国を放浪する。
’70年代は主として詩や評論や翻訳に創作意欲を注いできたが、’85年から’86年にかけて、『シティ・オブ・グラス』『幽霊たち』「鍵のかかった部屋』のニューヨーク三部作を発表し、一躍現代アメリカ文学の旗手として脚光を浴びる。

「事実は小説よりも奇なり」という。

サンフランシスコにすむ、人生これからという若い女性だったころ、Aはこの上なく悲惨な時期を生き、ほとんど狂気寸前まで落ち込んだ。
わずか数週間のあいだに、仕事はクビになるし、親友の一人は夜アパートに押し入った強盗に殺されてしまったし、可愛がっていた猫は重病にかかった。
猫のどこが悪かったのか、詳しくは知らないが、命にかかわる病気だったことは確かなようで、獣医に連れていくと、ある手術を行わなければ一か月以内に死ぬと言われた。
いくらかかるのですか、と訊いてみると、医者はもろもろの費用を計算し、三百二十七ドルですと答えた。
Aにはとてもそんな金はない。
銀行の預金だってほとんどゼロになっているのだ。
その後の何日か、Aは極度の苦悩を抱えて生きていた。
死んだ友達のことか、猫の死を防ぐのにかかる払えっこない額のことを考えながら。
三百二十七ドル。
ある日Aは、ミッション・ストリートを車で走っていて、赤信号に行きあたって車を停めた。
彼女の体はそこにあったが、心はどこか別の場所にあった。
その体と心の隔たりのなか、誰も十分に検索したことのないものの我々もなが時おり生きるその隔たりのなかで、彼女は殺された友だちの声を聞いた。
大丈夫、と声は言っていた。
大丈夫、じきにうまく行くわよ。
信号は青に変わったが、まだこの幻聴の呪縛のなかにあったために、Aは動かなかった。
次の瞬間、うしろの車が追突し、Aの車はテールライトの一方を壊されフェンダーをぺしゃんこにされた。
うしろの車を運転していた男は、エンジンを切って車から降りてきた。
すいません、馬鹿なことをしてしまって、と男は誤った。
いいえ、私が悪いんです。
信号が青になったのに発信しなかったですから、とAは言った。
だがその男は、悪いのは自分の方だと言い張った。
Aが衝突保険に入っていないと知ると(そんな贅沢にお金を出す余裕なんかなかった)、
修理費は自分が全額持つと申し出た。
費用の見積もりを取って送ってください、私の保険でカバーできますから、と男は言った。
Aはなおも、そんなの困ります、あなたのせいではないのですから、と訴えたが、男は耳を貸さず、結局彼女も折れた。
・・・・・・・・
修理工は見積もり額を書いた紙切れを彼女に渡した。
1,2セントのずれはあったかもしれないが、合計はほぼきっちり三百二十七ドルに達していた。
本文 抜粋

必然の偶然のような話。
そんな話、結構あちこちで聞きますよね。

そんな話も含めてこの本は書かれてます。
筆者のオースターが、作家になるまでの色々な事柄も書かれてます。

世の中の底辺ともいえる人々との出会いで、彼は、いついかなる時も、どんなことでも、自分に降りかかってくる可能性があることを身を持って知ったのでしょう。

それが、作家となった彼が、作品を書くときの姿勢でもあるようです。
今や、押しも押されぬ大作家ですが、若かりしときの、苦労話には心痛め、悲痛ともいえる思いがします。

一文無しで、明日の食べ物を買うお金もない。
何度もきちんとお金の入るような生活を試みながら、捨てきれぬ思いで元の生活に戻る。

文学に対して、理想を抱き、その姿勢を貫く。
言葉では簡単ですが、現実はとても大変なことでしょう。
その理想と現実のギャップをどこかで意識しながらも、
自分の思いを貫いた人。こんな風に生きようとした人もいるんですね。

(J)

「トゥルー・スト-リーズ」 True Stories