花村 萬月 (はなむら まんげつ)
1955(昭和30)年東京生まれ。
中学を卒業後、オートバイで全国を放浪し、数々の職業に就く。
北海道をツーリングした折の紀行文が旅雑誌に採用され、原稿料を手にしたのがきっかけに小説を書き始める。
若者がもつ峻烈な生命力と疾走感を描いて、多くの読者を得る。

湿った夜気を胸に満たして伸びをしていると、白が薄黄色く汚れた尻尾を振ってまとわりついてきた。
白、白、白、
条件反射で三度犬の名を呼ぶと僕がパブロフの犬だ。
白は名を呼ばれて歓喜し、僕のまわりを乱舞する。
ベッドで聴いたちちちよいう足音も、いまや軽薄でせわしない繰り事に堕落し、青い匂いのかけらもない。

紫黒色の巨木に視線をやる。
意図を察した白が走った。
緑の胡桃を咥えてもどった。
差しだした手に胡桃を落として得意そうに見つめた。
僕は犬の奴隷根性が大嫌いなので、
その喉をめがけて爪先で蹴りをいれた。
ぐぇぐぇとくぐもった声をあげて白が転がった。
これ見よがしに身悶えしてみせる。
念には念をいれて、さらに喉仏を蹴りつぶす。
白の口からあふれた唾液の泡に血の緋色が混ざっていることを確認して、ちいさく頷いてみる。
これで白は当分吠えることができず、しかも僕を避けるだろう。
本文 抜粋

宗教を描く長大な作品として書かれたこの作品。
若者の心の闇を、ずっしりとした、しかも軽いタッチで描く。

描写が情景を思い描かせることは、小説にとって大切な要素だろう。
この作品を読みながら、イメージを描きたくない場面が出てくる。

修道院という、一見開かれた社会の中で、まるで結界があるかのごとく、社会から隔離された世界での出来事。

暴力・いじめ・レイプ・同性愛・搾取など、およそ、聖職とはかけ離れたイメージの出来事が繰り広げられる。

主人公は朧(ろう)。
この修道院で幼いころから暮らす。
修道院が孤児の子供を養っている。
勉学と祈り、奉仕活動の生活がある。
朧もそんな中で暮らす。
貧しい食事や上下の身分がはっきりとある、そんな中で暮らす。
一度、社会にでた朧であったが、人を二人殺し、再び修道院に戻ってきた。

“神はいるのか?”
何度も祈り、恋い慕いながらも、実体のない神に疑いと憧れを抱く。

つまりゴミだったのだ。
僕はゴミを食べて成長した。
僕の血と骨と肉と脂は、つまり僕の軀はゴミでできている。
くどいが、あえて繰り返す。
僕は安全保障条約のゴミで成りたっているのだ。

アカが攻めてこようが、シロが攻めてこようが、僕の心は僕のものだ。
中学生の僕にだってその程度の自覚はあった。
僕の空想や妄想、心のありようはあくまでも僕のものなのだ。
それとも神のものなのだろうか。
宗教の鋳型にはまることがファシズムの愉しさに充ちていることを否定はしないが、それでもキリストは、眼で犯すものは姦淫とおなじことであると、心のありように常に絡みついている始末におえないある自由さを極論を用いて諫めたではないか。
つまり神は個々人の心のありようを支配しきれていない。
本文 抜粋

壮絶な世界の中でも、ひたすら“神の存在”を求める。
奔放ともハチャメチャともいえるその〈生き方〉の中で、必死に何かを求めてる。

人間ってそんな存在かも・・・。
自分であっていいと思いながらも、何かが欲しい。
その何かが何かは分からないけど、だからこそ欲しい。
そんな天の邪鬼な者かも・・・。

(J)

「ゲルマニウムの夜」