石井 妙子

その人の名は、上羽 秀(うえば ひで)という。
しかし、おそめ、という通り名のほうが
人に知られているかもしれない。
本文 抜粋

ノンフィクション作品。

大正十二年一月十五日、上羽秀は高瀬川に架かる三条小橋近く、京都木屋町大国町に生まれる。
生家は石炭問屋で祖父の元三郎は、初孫の秀を大層可愛がり、目の中にいれても痛くないほどで、傍目には不気味に感じられるほどだったという。

母のよしゑは目立つ清楚な美貌の持ち主。
父の元義は、商売に不熱心で、親に似ぬ優男であった。
やがて、この祖父は、嫁のよしゑの寝床に忍び込もうとし、耐えに耐えたよしゑであったが、やがて、人の子供(秀と妹のきく子)を連れて家をでる。

そして、やがて秀は東京の新橋で芸者の修行をするでだが、京都に連れ戻されて、祇園で芸妓として売り出す。
十五歳の秀に与えられた名前が「おそめ」である。
美貌と元来の性質もあり、人に可愛がられるたちであった秀は、芸妓として人気を博す。
がまた、人のやっかみや嫉妬も多くある。

戦争の影響で芸妓をやめ、白井という男性の庇護のもとで暮らすが、自由を求め、一端芸妓にもどるが、カフェの女給、そして木屋町に「おそめ」という店を出すその「おそめ」が後に銀座で進出、時の文芸界の様々な人たちの集まる場所となるバーを開く。

川端康成・白洲次郎・小津安二郎など時の著名人がこぞってこの「おそめ」を贔屓し、並外れた美貌と本来の気性・天真爛漫な人柄で銀座のマダムの頂点にのぼりつめる。

東京と京都との往復に、飛行機を使い、「空飛ぶマダム」と言われたり、その当時、銀座NO1と言われたマダム「エスポワール」の川辺るみ子とそして銀座に進出して、あっという間に、銀座のマダムの名を手にした「おそめ」をモデルにしたと言われている小説「夜の蝶」が書かれる。
その小説が売れて、映画化されて、雑誌や週刊誌に様々な形で取り上げられるようになる。

私生活では、祇園の芸妓時代に恋仲になった俊藤 浩滋が生涯の伴侶となる。
この俊藤は、映画プロディーサーとして名を馳せている。
任侠映画と手掛けて、数々のヒット作品を出している。
また、彼の本妻百合子夫人の次女にあたるのが富士純子である。
この家族の金銭的なサポートも秀はしている。

「金は天下の周り物」と、宵越しの金は持たず、ある意味で現実的な生活の統べを持たなかった秀は、その気風の良さと元来の派手好みで、昭和30年代の銀座を生きていく。

晩年、俊藤の籍に入籍しながら、彼の死後は、「上羽」の名で生きる。

多くの人に愛され、そして、多くの人に憎まれる。
そんな人生を生き抜き、そしてあくまで自分らしさを失わない。
ある種の逸材でなければ出来ぬ生き方のような気もするが、そんな人生を生きた実在の人がいる。
そんな人物であろう、写真の中の「おそめ」さんは、今も十分に美しい。

(J)

「伝説の銀座マダム おそめ」