-東京・盛り場の社会学-

本書は、東京大学大学院社会学の修士論文として認めたものを加筆しまとめたものらしい。

浅草と銀座。
また新宿と渋谷という東京の都市化の変容の歴史を、そこに集まる人たちの意識や欲望という視点も加え、
社会学らしい視点で分析・探究している。
この本の「ドラマトゥルギー」という言葉は、“戯曲の創作や構成についての技法”という意味らしい。

心理学でも「ドラマトュルギー」という言葉を使う。
私は、この言葉に惹かれて本書を読む。

『ともかくも、拙いながらもこのような本を書き終えたいま、わたしはすべてを、すでに語られたことの委ねるべきかもしれない。
いまさらこの本の作者について、くだくだしい説明を加えるべきではないのかもしれない。
だが、わたしが本書において語ろうとしたのは、決してたんなる歴史的事実でも、理論的枠組みでもなく、むしろひとつの問いであり、その問いをめぐる筆者なりの格闘の軌跡であった。』
本文あとがき  抜粋

昭和32年、東京の山の手に住む平均的なサラリーマン家庭の子としてうまれた筆者は、子供の頃の遊び場として、近くの公園や友だちの家の庭、環状八号線のアスファルトの上やその資材置き場でしかあらず、七十年代半ばに青年期を迎えたかれは、「闇市」から「安保」を経て「紛争」に至る「戦争的なるもの」を消失した時代状況であったことは、二重の意味で重要なことだという。

『わたしは原風景なものを欠落させたまま、二十数年の人生を送ってしまったこと。』
本文あとがき 抜粋

1920年代「民衆娯楽」の中心として賑わった浅草は、下町の階層から、ブルジョアやインテリを含む多様な階層が集まり、共同性の交換ともいう身体感覚をも共有するものとしてあった。

そして、関東大震災を契機に銀座へと至る。
モボ・モガという「モダン」が闊歩する銀座は、未来(西洋のイメージ)を想起させるものとしてあり、カフェやデパート・舶来品・また、知的サロンともいうべき空間としてあった。
また、≪銀座なるもの≫の拡散に示される「近代(モダン)」化の潮流は、近代都市としての東京が目指した方向でもあったという。

そして、高度成長期の昭和30年代、新宿は、主婦・サラリーマン・学生等で賑わう新興の盛り場としてある。

立ち並ぶ百貨店・いろいろな娯楽施設・カフェー・歌舞伎町等、急速に成長した新宿は、当に、大衆の夢を担う。
戦後の闇市地帯から連鎖市場へと変わる。

そして70年以降パルコなどの演出で≪渋谷なるもの≫を作り出す。

この新宿と渋谷は、浅草と銀座の関係と共通するところが多くあるらしい。
渋谷には、「スペイン通り」があり、パルコは、未来志向を戦略に「現代風(ナウ)」な風俗を上演していく。

私たちは、うまく演出された都市のドラマ性の中で、夢を見ながら自身もドラマを舞う。

ドラマは演技であり、演じる人間は、その自分に酔う。
そして、幻想としての≪家郷≫や錯乱する≪未来≫に陶酔する。

演じるためには、役に合わないものを視界の外に排除し、自分であることを真に自分であろうとすることを放棄する。

「可愛い」自分になるために、「可愛いと思わないもの」を自分と認めない。
「可愛い」という言葉を呪文のように唱えることで、「可愛い」ものに同じ顔をもたせる。
種々雑多な身体が触れ合い、群れていることを、〈演じる〉ことで未来へと通じる。

そこでは、他者たちとの直接的な関係はどちらかというとアリバイ的なものなのであって、都市空間の提供する舞台装置や台本に従って、すでにその意味を予定された役柄を場面ごとに〈演じて〉いくことで、逆に他者たちとのコミュニケーションのコード化を共有しているのである。

本文抜粋

(J)

[都市のドラマトゥルギー」  吉見 俊哉