アルフォンス・デーケン Alfons Deeken 著

「生は死の始まりであり、生きることは死ぬためなのである。死は終結であると同時に開始であり、別離であると同時に近しい結びつきである。」 ノヴァーリス

私の「生と死」の原点
物心がついた時、すでに戦争のまっただ中でした。周りには、平和な今からは想像できないほど、多くの「死」、ぎりぎりの「生」が、あふれていました。「不条理な家族の死」、「命懸けの反ナチ活動」、「遠い日本での少年殉教者の話」など、忘れ得ぬ出来事がいくつもあり、私は子供心にも、「死」と良く向き合うためにはどうするべきなのか、常に考えるようになりました。
本文参照  P.11

日本のガンの死亡率は、約31%《2001年》で、三人に一人はガンで亡くなる。
日本は“死のタブー化の時代”が長く続き、その結果として、自分自身でコントロールすることを学ばなかった。

ヨーロッパでは、絵画・書物で死への心構えを学ぶ。そこには、死とは、時間をかけ努力して磨き上げるべき「芸術」だという思想がみられる。
ドイツ哲学では、「文明」と「文化」の区別を重視する。「文明」とは、人間の生活面の物質的技術的領域のことで、「文化」とは、精神的・内面的領域のこと。20世紀は、「文明」の大きな進歩は、実現されたが、死生観や死への対応といった「文化」の面では、かえって後退したかもしれないと本書の中で書かれている。

著者のアルフォント・デーケン氏は、1970年代、上智大学で、タナトロジー(死生学)の教鞭をとり、まだまだ「死」のタブー視の根強い日本の地に、「死の哲学」「死の準備教育(Death Education)」を普及させた第一人者である。

幼少期のナチの占領下の体験や、4歳離れた妹の死。近所の友達の一家が焼夷弾で焼かれたこと。戦争が終わり、平和のおとづれと共に、連合軍が祖父を射殺したこと。
デーケン自身ガンになったことなど。
様々な死の体験は、彼自身の死や生き方を哲学や宗教の世界に向かう興味へと導く。

死への準備教育(Death Education)の広がりは、看護士から一般市民へ。そして医師・教育者へと広がる。テレビなどのマス・メディアの影響力も大きく左右して、死に向かう人生を見つめ、より良い生き方を見つめていこうとする人達が増えている。

中年期の「八つの危機」・ホスピス・ケアー。それから生活の中でのユーモアと笑いの必要性やユーモアとジョークの違いなど、いろいろな角度から死生観へのアプローチがされている。

“死を見つめることは、生を見つめること。”
人間の死亡率は100%である。死なない人は居ない。あなたはどんな死と向かい合いますか?
(J)

自分自身の死(一人称の死)
「死のプロセス」の六段階  death education
1.否認  自分が死ぬという事実の否定。医師の診断は誤診に違いないと思い込もうとする。
2.怒り  自分が死ぬという事実が否定できないことと分かると「なぜ、今私が死ななければならないのか」という問いかけが怒りとともに発せられる。
3.取り引き  せめてもう少し生き続けたいという願いから、医師・運命・神などに対して、死を少しでも先に延ばしてくれるように交渉を試みる。
4.抑うつ  近いうちにすべてを失わなければならないという自覚が、深いうつ状態を引き起こす。
5.受容  死が避けられないという事実を率直に受け入れようとする態度に至る。
6.期待と希望  永遠性への「期待と希望」

身近な人の死(二人称の死)
「悲嘆のプロセス」の十二段階 grief education(約1~2年)
1.精神的打撃と麻痺状態
2.否認
3.パニック
4.怒りと不当感
5.敵意とうらみ
6.罪意識
7.空想形成、幻想
8.孤独感と抑うつ
9.精神的混乱とアパシー(無関心)
10.あきらめ-受容-
11.新しい希望-ユーモアと笑いの再発見-
12.立ち直りの段階-新しいアイデンティティの確立-


「よく生き よく笑い よき死と出会う」