佐藤 愛子 (さとう あいこ)

大正12年11月5日
佐藤 紅緑を父として兄四人姉一人の末女として大阪住吉に生まれる。
神戸甲南女学校卒業後、雙葉学園英語科に通学、三か月で帰郷。
七月肋膜炎にて臥床。
20歳見合い結婚をする。
27歳で父の死と共に別居。
原因は夫のモルヒネ中毒であった。
28歳、別居中の夫死亡。
33歳で篠原省三(ペンネーム田畑麦彦)と結婚。
44歳で夫の事業の失敗のために破産。
47歳で協議離婚する。
文筆活動は多くあり、「青い果実」「愛子」「ソクラテスの妻」「さて男性諸君」「戦いすんで日が暮れて」「ひとりぼっちの女史」など。

強い男、りりしい男はいないのか!
弱気な夫と巨額の負債をしょいこんだ家庭の中で、休む間もない奮闘を続ける、男まさりの〝強い妻”を真情とペーソスで描く。

佐藤愛子自身の体験をもとに、書かれた作品で、第61回直木賞を受賞している。
今読んでもちっとも古さを感じさせない。
ウィットに富む物語である。

桃子は必要以上の大声で笑いころげていた。
来る日も来る日も母親が雑文書きの仕事に追われているので、こんなひとときは桃子を興奮させるのだ。
夫が帰ってきたとき、私の顔にも桃子の顔にも、楽しい笑いの名残りがあったにちがいない。
私は茶の間に入って来た夫に向かっておかえりなさいと身を起し、笑いの余波を顔に残したまま夫の顔を見て、そして直感した。
夫の顔は赤く、酒を飲んだ男のようにいやな光りかたをし、目のまわりが赤く、そうして今まで見たこともなかったような、子供子供した顔になっていた。
夫はいつもの彼の座り場所である炬燵の一辺にくずれるように座りながら、重病人のように涸れた声でとぎれとぎれにいった。
「すまない……会社……つぶれた」と同時に夫の異様に赤く光った顔が歪み、こらえきれぬ涙が溢れ出たのを私は見た。
私は自分が何をいったのか覚えていない。
桃子が学校から泣きながら帰って来たときと同じ、叱咤するような調子でこんなことをいったことだけは覚えている。
「伊藤さんはどうしたの、
伊藤さんは……えっ、どうしたんですか、ウソをいったの?
伊藤さんは……」

本文 抜粋

その年の12月に、それ以前にすでに値打ちのあると思われるものは売られていたが、まだあると思われる、家にある骨董品や絵や焼き物の類のものは売ら払われる。
早朝から深夜まで、電話のベルは鳴り続け、夫は毎日朝早くから夜遅くまで帰ってこない。
原稿を書こうにも電話の対応に追われて、描く暇もない。

夫の会社の決算書に書かれた金額は「二億三千万」従業員たった30人の産業教育の視聴覚教材を制作する会社にとって、この金額はあまりにも多すぎた。

友達に裏切られ、反対するのも聞かず従業員を心配し、新しく会社をつくった夫。
人に貸したお金は返されることのない夫。
ただ人が良いだけの夫。

寝るだけに帰ってくる夫は、疲れてただ眠る。
その夫に怒りが積もる。
何も答えない夫にただイライラするばかりだった。

債権者たちは、捕まらない夫ではなく、強気の彼女に返済を求める。
怒りながら、来る人たちをぶった切りながら、彼女もこの倒産騒ぎに巻き込まれていく。

そしてふと気がつくと、彼女が返さなくてはならない借金が千万以上になっていた。
返債するのは、約六年以上の歳月が必要になっていた。

共通の友だちの家が担保に入っていることが分かり、どうしようもなくついに高利貸しにお金を借りに行くことを決める。
反対したのは母一人だ。
そのとき、本当に彼女のことを心配しているのは母一人だと思った。

「そうですよ。
そういうものなんですよ。
瀬木さんは倒産したんだ。
名誉とか面目とか友情とかにこだわっているようじゃ、瀬木さんは立ち上れませんね。
世の中はそんな甘いもんじゃない。
泥におちた以上は平気で泥をかぶるんですよ」突然、涙が溢れた。
それは夫が倒産してからはじめての涙だった。
私は自分が小さく小さく幼児のようになって行くのを感じた。
私は年老いた父の末っ子の生れ、八歳まで乳母の乳を吸って甘やかされて育った。
私は一人ではどこにも行けず、人に話しかけられると返事が出来なくて涙ぐむような女の子だった。
いつも女中か姉の尻についてまわり、人目につかぬようにたえず心を砕いていた。
私は金貸しが私を憐れんでいることを直感した。
彼はお金を惜しんでいるのではなく、心そこ、私のためを思ってくれていたのだ。
私はそう思った。
彼は私を世間知らずだと思っている。
それが私を泣かせた。

本文 抜粋

暮れなずむ空の下で渓流のように車が走っていた。
歩道橋に上って南の方を眺めると、既に暮れた鼠色の町の果からヘッドライトをつけた車が際限もなく湧き出して来て、まるで無人車のように機械的な速力でまっしぐらに走り、あっという間に足の下に消え去る。
警笛も人声も聞えぬ、ただ轟々と一定の音のかたまりが、環状七号線をゆるがしている。
「うるさいぞオーッ、バカヤロウーッ!」
突然、私は歩道橋の上から、叫んだ。
「桃子、あんたもいってごらんよ」桃子は喜んで真似をした。
「バカヤロウーッ、うるさいぞオーッ」私と桃子の声は轟音の中に消えた。
私はどなった。
「いい気になるなったら、いい気になるなーッ」車は無関心に流れていた。
沿道に水銀灯がともった。
轟々と流れる車の川の上で、私と桃子は南の方を向いて立っていた。

本文 抜粋

辛口の評論と言われている、佐藤愛子さんの人生は、とてつもなく苦しいエッセンスが詰まっているようだ。
そして、文章から読む者に感じさせるユーモアや哀しさは、人生を真剣に生きる者の持つ、
心のエッセンスでもあるのだろうか。

(J)

「戦いすんで日が暮れて」