hon20140826辻 仁成 Hitonari Tsuji

1959年東京生れ。
’89年『ピアニシモ』ですばる賞を受賞。
以後、作家・ミュージシャン・映画監督と、幅広いジャンルで活躍。
’97年『海峡の海』で芥川賞、’99年『白仏』のフランス語翻訳版で、フランスのフェミナ賞/外国小説賞を受賞。

「ここもきっと他と変わらないぜ。」ヒカルは僕の同意をうながすように、強いアクセントをつけて吐き捨てた。
校門のそばに日の丸の旗が高々とひるがえっているのが見える。
猫のひたいほどのコンクリートのグランドの上。
排気ガスと騒音が奏でる街のBGMをバックに、乱立するビル群の隙間で日章旗は揺れていた。
僕は一瞬立ちどまって、老教師に気付かれないように素早く日の丸に敬礼する。
ヒカルはそんな僕を見てニヤッと笑う。
彼の白い歯ぐきがくすんだ視界にひとすじのきらめきを放つ。
僕は敬礼していた右手をゆっくり降ろし、ズボンの乱れを直した。

本文 抜粋

僕は小学校のときから転校ばかり繰り返してきた。
少し慣れて、友達ができかけると転校になる。
そんな僕はいつしか空想でヒカルという友達を作った。
ヒカルはいつも一緒だった。

今回の転校先でも馴染むのに必死だった。
目立ち過ぎず、目立たな過ぎず、回りの気配に気づかっていた。

同じ屋根の下で暮らしていながら、ほとんどあの人とは会ったことがなかった。
あの人とは、父親の俗称で、僕はもう何年も彼のことをそう呼び続けている。
今さら面と向かって父さんなどとは言えないくらい、その呼び方は僕の気持ちの中で定着していた。
それぐらいあの人とは、うちで顔を合わせることは少なかった。
一週間や二週間会わないなんて、ざらだった。
いつも馬車馬のように働き、まるで仕事と結婚しているようだった。
ネクタイを締め、背広を着ている姿しか見たことがなかった。
ステテコでソファにふんぞり返っている世間一般の父親の姿は、想像もできなかった。

本文 抜粋

”あんた”とは、母親の呼称だった。
直接話しかける時にもちいられる、愛称のようなものだった。
ヒカルと会話する時に使われる俗称は、”あれ”だったり、”ばばあ”だったり、その時その時で変化していた。
母親とは僕に一日に数回、およそ事務的に言葉を交わした。

本文 抜粋

コンクリートの狭いグランドに、ぽつんと置いてある跳び箱に、もとオリンピック選手だったと言う若い体育教師は、飛ぶのをためらう僕にやってみろと言う。
体育教師が青春すればするほど、生徒は無機質になっていく。

いきなりの八段以上の跳び箱にためらう僕に、体育教師はチェレンジするように言う。
運動神経の鈍いやつは、真っ先に攻撃される。
ヒカルの後を追うように跳び箱にチャレンジした僕は、誰かに足で跳び箱の横を蹴られ、そして衝撃と共に着地点を見失い、真っ白な地面に叩きつけられた。

朝登校すると、僕の机に《死ね》と彫られていた。
僕の机が無かったりもした。

学校に行かなくなる。
母親は鼻を抜けない中年女性の甘い声で、僕の神経を逆なでする。
僕は爆発する。

担任教師との約束で、一日だけ学校へ行くと約束する。
登校したその日、四時限目は自習になった。

僕は息を殺して、誰とも視線を合わせないようにはずし、どうしていいか迷っていた。
室内に一発触発の緊張が走る。
がさがさという音がして、男子が数人、机を飛び出して僕の周りに集まった。
僕を取り囲むように、五,六人の男子が机の上にしゃがみこむ。
踊っていた連中も、騒いでいた連中も、なんとなく意識だけは僕の方へ向けている。
次の瞬間、真後ろからざらついた声が聞こえてきた。
「どうするんだよう。」
……
「顔が嫌いなんだよ。」
「その真っすぐ伸びた背中もやなんだよ。」
「詰め襟もなんとかしてよ。」
「臭いんだよ、おなえはよ。」
「生意気なんだよ、その目が。」
「嫌いなんだよ。とにかく全部。」
「いいからさとる、もっとやれよ。」
本文 抜粋

さとるという気の弱そうな男子生徒に散々殴られて、家に帰った僕を待ち受けていたのは、あの人の自殺だった。

孤独な少年の心の荒涼と、自立への闘いは、心の中にいて、いつも一緒の友だちである、ヒカリの存在に救われていた。

現実の人間との触れ合いを求める彼の心は、父親の死によって、大きく揺れ動くことになる。

死んでしまったはずの父親の声が聞こえる。
『母さんを頼む。』と。

青春揺れ動き、その時代の心の揺れに、戸惑いながら傷つきながらも生きていこうとする、切ない心の悲鳴が聞こえてくるような、そんな気がする作品であった。

(J)

「ピアニシモ」 Pianissimo