hon20140902宮城谷 昌光 みやぎだに まさみつ

昭和20(1945)年、愛知県蒲郡市に生れる。
早稲田大学文学部卒業後、「早稲田文学」等に作品を発表。
出版社勤務を経て、昭和47年から執筆活動に専念する。
平成3年、「天空の舟」で新田次郎賞、「夏姫春秋」で直木賞、「重耳」で平成5年度芸術選奨文部大臣賞を受賞。
「白壁の線より」「王家の風日」「春の潮」などがある。

「沈黙の王」

古代中国で、こんにち残っている甲骨文字を創った商(殷)の子昭(こしょう)、のちの商王朝二十二代目にあたる高宗武丁の物語である。
彼はうまれつき言語障害があり、言葉を求めて旅に出る。

当時の中国では個人に本名とあだ名が付けられた。
本名は家族や身内などが呼ぶときに使われて、あだなは、それ以外の呼び名として使われた。


方形の庭には、王子や大臣をはじめ、百官がずらりとすわっている。
壇上に立っている王は、ある告示をおこなった。
かれの荘重なことばがとぎれたとき、満場にざわめきが起こり、そのざわめきはすぐに重苦しいしじまにかわったのである。
「予(わし)は、この会を、わが子の追放する場としなければならなくなった」王はそういったのである。
「丁(てい)よ」いままで群臣になげかけていたまざなしとことばを、足もとに落とした王は、表情と声音の張りをわずかにゆるめた。

本文 抜粋

本名が『丁』、あだなが『子昭』は、王でもあり父親である斂(れん)の見た夢で国を出なければならなくなる。
夢は神の声を聴くものであり、その神霊の声には、王といえども従わなければならなかった。

子昭は生まれつきの言語障害があった。
子昭はまったく話せないわけではなかったが、なめらかにことばがでることはなかった。

いつか話せるようになるかもしれないと言う期待を込めて今まで待ったが、変化はなかった。
いずれ王家を継ぐという立場上、命令を出すのに声が出なければならない。
一人で旅に出て、声が出るようになるまで国には帰ることは出来ない。

子昭は白皙でくっきりとした鼻梁をもち、憂愁にくもる眉の下の両眼は見るものを吸い込んでしまいそうな深い澄んだ眼を持っていた。

父からの餞別の剣と、母からの餞別の鈴を持つ。
鈴は、王家の者の印となる。
そして父から、野のどこかに甘盤(かんばん)という賢者がいて、かれに就いて正しいことばが学べるかもしれないと聞いていた。

太鼓の音が響く中、子昭は心細い思いを抱えて旅立つ。
そして子昭は、黄河の近くに住むと言う甘盤に出会うべく、道を進む。
木に登り実をとり、色を確かめて食べる。
夜中の休息は木の上の方が地上よりもはるかに安全であることなどを覚える。

子昭の予知能力は、じつは徳絶だった。
が、本人はそんな自分にも気がついていなかった。

あと五、六日歩けば甘盤の棲む州に着けるというとき、黒い森で子昭は一人で霊感を強める激しい舞をしてる女に出会う。
その美しさに心を動かされたとき、大蛇が女を呑み込もうとする。
自らの剣で女を救った子昭は、その貴女を将来妻とすることを夢見なが再び旅立つ。

再び大河に出て甘盤の所に辿り着いた子昭だったが、自らの勘でこの人ではないと悟る。
そう思いながらも三年間甘盤の所で学び、多くの学識を持つ。

そして再び、なめらかに言葉が出ることを願いながら、子昭は東南へと飛びだつ。
歩いているうちに、子昭は自分の心を寒くしていたこだわりが解けはじめて、一生かけてもなめらかに言葉を話すことはないということを知る。

言葉を探す旅の中で彼は夢を見る。
夢で現れた湯王は、高祖が祭事をした都をめざしてゆくようにと告げられる。

その言葉を信じて西を目指す。
彼の長い旅は続く。
そしてこの長い旅で出会ったのは、傳説という者であった。
彼は子昭の言いたいことを自ら言葉にして人々に伝えた。

自らの言葉の障害を苦しく長い旅の果てに、ついに新しい発想で克服した物語である。
一人で旅もしたことのない者が、ただ故郷に帰ることを望み、多くの困難にも立ち向かう。

一つ一つの事に立ち向かうたびに、彼は威厳と自分らしさを身につけたのだろう。

紀元前の世界は、魔力と妖術もある世界として描かれている。
読みながら、難しい漢字に苦闘しながらも興味深く面白く読む。

(J)

「沈黙の王」