hon20160113ミハイル・ブルガーコフ
増本 浩子/ヴァレリー・グルチュコ 訳

ミハイル・ブルガーコフ (1891―1940)
ウクライナ生れ。
キエフ大学医学部卒業。
空想科学的世界と現実を織り交ぜて社会を風刺する「悪魔物語」などで注目された。
しかし、ソ連体制下において、その風刺性ゆえに作品の多くが発禁処分となり、政治的抑圧を受けることとなった。
最晩年の代表作「巨匠とマルガリータ」も生前に発表することはかなわなかったが、のちに再評価が進み、近年では20世紀ロシア文学を代表する作家のひとりとされている。

 

運命の卵

1928年4月16日の晩、国立第四大学の動物学の教授で、モスクワ動物研究所長でもあるペルシコフ教授は、ゲルツェン通りの自分の動物学研究所でその後恐ろし災厄になった発見をする。

五十八歳になったヴラディーミル・イパティエヴィチ・ペルシコフは、剥げあがった立派な広い額をして、側頭部から黄色っぽいもじゃもじゃの髪が生えていた。
下唇が少し突き出ているせいで、ペルシコフの顔はいつも駄々っ子のような表情になった。

自分の専門分野の動物学・発生学・解剖学・植物学、それに地理学以外のことはほとんど話さなかった。
新聞も読まなかったし芝居も見に行かなかった。
妻は書置きを残してオペラ座のテノール歌手と駆け落ちしていた。

教授は再婚せず子どももいなかった。
木苺のジャムを添えた紅茶が好物だった。
おばあさんの家政婦マリア・ステパノヴィナが、まるで乳母のように彼の面倒をみていた。

ペルシコフの研究の両生類は、食糧不足で次々と死んでいくが、2年後には時代の変化と共に、飼料としての小麦が再び手に入るようになり、再び研究をするようになる。
彼は、顕微鏡の中に鮮やかな赤い光を見つける。
そしてその光を当てられたアメーバが生き生きと活動し、群れを成して押し合いへし合いし、より良い場所を取ろうとしていることを発見する。
アメーバはものすごいスピードで繁殖し分裂し、分裂した部分が2秒後には新しい有機体に生まれ変わった。
そしてこの有機体も数秒後には大きく成長し、また新しい世代を生み出したのである。

大学で講師をしていて、ペルシコフの助士もしているイワノフは、彼から聞かされたこの発見にびっくり仰天し、今までどうして気がつかなかったのかと打ちのめされた。
それはとんでもない発見だった。

この光線をボックス装置にして、さらに研究を進めていく。
いつの間にかこの研究のことが漏れて、雑誌や新聞記者がペルシコフにインタビューや記事を頼むようになるが、ペルシコフはそんなことに頓着せずに自分の研究を進める。

この光を浴びた生物の繁殖は凄まじく、しかも凶暴で貪欲だった。
二昼夜でカエルの卵から何千匹ものオタマジャクシが孵り、二十四時間後にはオタマジャクシはカエルになった。
カエルのうちの半分は残りの半分をたちまちのうちに食べてしまった。

そんな折に、国中の鶏が血を吐いて死んでしまうと言う事件がモスクワに起こる。
鶏ペストだった。
その収束にはペルシコフなど数名が手を貸し、事は治まる。

鶏肉と卵が食卓から消える。

そんなある日、彼の元にロックと言う男がクレムリンからの公文書を持って訪ねてくる。
ロックは鶏の卵にペルシコフの赤い光線をあてて、成長を促すのだと言う。

当然ペルシコフは反対をするが、政府の指令である以上逆らうことはできない。
赤い光のボックスは持ち去られ、研究室はがらんとした状態になる。

ロックを中心に、郊外の農地でドイツから送られてきた卵に光線は当てられる。
そして光線を当てられた動物は、想像を絶す出来事を引き起こすのである。

ロックの元に送られてきたのは、鶏の卵ではなく蛇やワニの卵だったのだ。
アナコンダの様に成長した生き物は、次々と人を襲い食い殺していくようになる。
そしてさらにエサを求めてモスクワへと進行してくる。

パニックを起こした人々の怒りは、この光線の発見者であるペルシコフにも向かうようになる。

ソヴィエト体制を痛烈に批判・風刺し、発禁処分になりながらも、小説を書くことを辞めなかったブルガーコフは、いつ命を落とすかわからない綱渡りの人生を送った。
ロシアの歴史がわかるとさらに風刺の内容が痛烈に心に響くことだろう。

ロシアでなくともこの本の内容は、権力や実験と言う名で行われるすべての出来事に通じるものがあるように思う。
いついかなる時も、完全はあり得ない。
面白くもあるが同時にぞっとするような読後の感じは自身への警告だろうか。

(J)

「犬の心臓・運命の卵」