hon20160226姫野 カオルコ  ひめの・かおるこ

1958年滋賀県甲賀生まれ。
90年スラプスティック・コメディ『ひと呼んでミツコ』で単行本デビュー。
独特の筆致と幅広い作風で読者層は男女同数。
『受難』『ツ、イ、ラ、ク』『ハルカ・エイティ』『リアル・シンデレラ』で直木賞候補。
2014年『昭和の犬』で第150回直木賞受賞。
他に『サイケ』『よるねこ』『整形美人』『コルセット』等、 著書多数。

わたしは三子。
私立薔薇十字女子大英文科在籍中。
ひとは、わたしをMITSUKOと呼ぶ。
MITSUKO、ゲランの名高い香水。
その神秘的で官能的な香りの名にふさわしいイメージの女だと言ったのは約1名限定。
わたしだけだ。
誤解という言葉は、キュートな独善イズムと換言できる。
歴史をひもといても、はたまた『BIG tomorrow』誌をひもといても、
勝者はつねにオプティミストのキュートな独善家。
ペシミストが勝利を笑うことはない。

本文 抜粋

地球資源や公衆道徳を愛するミツコ。
信ずるものは偏差値、マークシート。
IQ172、背は級数。
夜も寝ないで昼寝してコツコツと勉強した。
その甲斐あってむなしく第3志望の女子大に入学。
肌の露出度が大きい服は好きではない。
体形がくっきりと出る服も好きでない。

そんなミツコは、
乗り気でない猫山歯科大・フィラデルフィア倶楽部との合同コンパで、スペイン坂のくせに渋谷にあって、日本人ばかりのサン・トロペの店に行く。

そこで隣に座ったのは原武クンだ。
鼻が高く、彫りの深い、細面のひとなのに、なぜか丸顔の印象を与えるひとだった。

となりでほほ笑む原クンと、何か話そうと持ちだした話は〝スポーツ”〝映画”〝テレビのニュース”〝経済”だ。
何故かいまいち話ははずまない。
なかばあきらめて「着ているシャツすてきですね。」と言うと、立て板に水のように彼は話し出した。

席を立った原クンにホットするミツコは、 一人でいることが好きなわけではなかった。
トランプしたり、伝言ゲームをしたり、大貧民ゲームもいい。

だのにコンパというのは、えてして酒類を飲んで、隣に居合わせた者とだけボソボソ話をするだけで、なんのために大勢でいるのかわからないところがあった。
だいいちミツコは歯医者が嫌いなのだ。
幼少のころの痛い思い出はいまなお、鮮烈に残っており、歯医者はみな鬼に見える。
あの残酷なチェーン・ソーのような音が聞こえてくる。

八時半にコンパが終わり、二次会に行かずにミツコは帰った。
腹ごしらえがてらおにぎりを食べて駅に向かった。
そこでなんと、あの原クンと友達のユカリと同じ電車の同じ車両に乗り合わす。

後ろのお酒の匂いのする証券マンふうの男性が、本格的にミツコの肩にアゴを乗せてきて重かったので姿勢を変えた時、原くんとユカリが目に入る。
「信じられない!」「ショックだわ!」
二人が同じ車両なのに驚いたのではなかった。
原武クンとユカリ占めている座席の面積が信じられなかった。
面積=縦×横。
ふたりの身体と荷物が座席を占める面積があり過ぎることにショックを受けた。

「どうして?」
あの面積はなんなんだ。
原クンは両脚を大きく開き、両手をその膝に置いて指先で何かリズムをとっている。
ユカリは原武くんに微笑みかけて脚を組んでいる。
これだけでも、ふたりはかなりの面積をとる。

なのに、原武くんは、セカンド・バッグとブティックの名の入ったおおきなビニール袋を、きききき驚異的なことだが、網棚ではなく、自分の横に置いているではないか!
横といってもユカリ側ではないほうの横だ。
ユカリはユカリでバケツタイプのヴィトン・バッグを、やはりよよよよ横に置いているではないか!

ミツコの毛細血管がパシパシと火花を散らせる。
虫垂を切り取られた腸の縫合部分がギチギチと唸りはじめ、表皮の術痕はぎらぎらと真っ赤に光り、隆盛する。
エネルギー全力噴射だった。

ミツコの盲腸の手術痕がうずく時、不埒なやつらに公衆道徳の鉄鎚は下る。
強力倫理観と超人的能力をあわせ持つミツコは、ついに、ふたりに怒りが爆発する。

「どたばた喜劇」と訳されるスラップスティック・コメディを、倫理観豊かなミツコという名の女学生を主人公に描く。
論理的な飛躍が、「どうなるの?」と可笑しくもハラハラさせる。
ミツコでなくとも、電車の迷惑乗車は迷惑だ。
荷物は自分で持った方がいいかも…。
なぜならすぐそばにミツコが来て…かも。

「ひと呼んでミツコ」