hon20160903プーシキン 作  池田健太郎 訳

プーシキン
1799年6月生まれ。
モスクワの貴族の家に生まれる。幼児期は家庭教師と乳母に育てられる。
乳母はロシア語と民間伝承の文学(民話や民謡)を教えた。
1811年ペテルブルグ・皇帝村の学習院に入り、その当時から詩への才能を見せていたようである。
卒業後外務院に席をおいて詩作と社交界の生活に明け暮れる。
民衆的な要素と民衆語を大胆にしようしたおとぎ話『ルスランとリュドミーラ』抒情詩、政治詩、寸鉄詩などを書くが、
政治的自由をたたえる『自由』『村』などが皇帝の不興を買い、
1820年5月南ロシアに追放され、26年にモスクワに帰る。
1831年2月に美しいが社交好きのナタリアと結婚するが、
1837年2月、妻に言い寄った近衛士官ダンテスと決闘し射殺される。

 

エヴゲーニィ・オネーギンの父親は務めを立派に果たしたが、借金ぐらしを続けた。
そのうえ毎年3度舞踏会を開いたので、とうとう尾羽打ち枯らした。
エヴゲーニィ・オネーギンは、最初はマダムが世話を焼き、やがて貧しいフランス人のラベは御曹司を苦しめてはたいへんと、厳格な説教を繰り返すこともなく軽くたしなめるだけで育つ。
エヴゲーニィに青春が訪れ、最新流行の髪型をし、ロンドンの伊達者そっくりの服を着て、彼は社交界へと乗り出した。
フランス語なら流暢に話もできれば手紙も書け、マズルカの足さばきも軽やかで、会釈も自然だった。
社交界は聡明なげにも可愛い青年と決めてしまった。
彼はコケットの胸の火を掻き立てて社交界に繰り出した。

やがてそんな生活に飽きた・オネーギンは、田舎の地主屋敷で暮らすようになる。
そこで知り合ったのがヴラジーミル・レンスキーだった。
ゲッチンゲン精神に徹した男盛りの美丈夫で、カントの崇拝者、詩人であった。
レンスキーは隣町に住むオリガに恋をし、彼に誘われてオリガの家に出向いたオネーギンは、
オリガの姉のタチヤーナから思いを打ち明けられる。
タチヤーナは器量は妹には劣ったが、美徳の象徴である、素朴で、真摯で、誠実さを持ちあわせていた。

そのタチヤーナの思いを振ったオネーギンだったが、親友・レンスキーの怒りを買うために、彼の恋人オリガと仲よくする。
怒りに狂ったレンスキーはオネーギンに決闘をすることになり、オネーギンの銃弾に倒れる。

親友の死に強烈なショックを受けたたオネーギンは村を出て、旅をするようになる。
旅にも飽きた数年の後、モスクワの社交界で再びタチヤーナに出会い、オネーギンは彼女に恋することになる。

 

韻文小説『エヴゲーニィ・オネーギン』は、
韻文諸説の代表的な作品とされる。原文は14行を1詩節とし、約400詩節から成り立つ長編の詩であり、
7年4か月の月日をかけて書かれた小説である。

プーシキンが皇帝の不興を買い、モスクワを離れていたその当時の思いも文章の中に盛り込まれていて、複雑な構成になっている。
オネーギンとタチヤーナの恋の物語という、きわめてシンプルな内容ではあるが、読みやすく、ひきつけられるようなストーリー性があり、プーシキンの文章力の豊かさを思う。1800年代ロシア文学の代表作でもあろう。

(J)

「オネーギン」